偏愛ヴォーカリスト視聴室

あくまでヴォーカリスト重視の姿勢で聴く、極私的音楽レビュー&音楽関連のネタ帳。

キャロル・キング

ライブ体験記:キャロル・キング/大阪厚生年金会館 08.11.15


「Welcome To My Living Room Tour」
大阪厚生年金会館 08.11.15
キャロル・キング

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家を出たのは、開演40分前。
コンビニで打ち出したチケットを、カバンにねじ込み、会場へ急ぐ。

大阪厚生年金会館は、初めて。

ロビーに滑り込み、そこで初めてチケットを確認した。前から5列目、舞台に向かって左寄り。番号の良さに飛び跳ねたい思いを抑えて、席に着く。


目の前には、“彼女のピアノ”があった。彼女を聞き始めた理由は、最愛のヴォーカリストがたった1回歌った曲のせいだった。

「You've Got A Friend」。

名前だけは知っていて、さほど聞こうともしなかった昔の人。

手にとって、初めて聞いて。

化け物のように売れ続けるアルバムには、理由があると知った。

つづれおり
つづれおり
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あれから何度、聞いただろう。

飼い猫の想い出と共に、残りの人生を共にすると決めた歌声の一つ。私が一番好きな曲は、アルバムのタイトル曲。


人生は、タペストリーのよう。

これを「つづれおり」と訳した、邦題のセンスが素敵だ。

人生は、つづれおりのように
同じ色だけでなく
時に激しい色で、時に寂しい色で、時に温かな色で。


周りを見回すと、このアルバムと共に人生を織りなしてきた年齢の人が多い。


中には「つづれおり」のLPを抱いて来ている女性がいた。

素足の彼女と、猫と


私が生まれる2年前に発売された、アルバム。


開演前、「途中で20分の休憩を入れます」とのアナウンスが入った。不安げなざわめきが会場に広がる。「そりゃ、年だもの」「見られるだけ有り難いよ」後ろの夫婦がささやきあった。

そこに、ぶわぶわに膨らんだカーリーヘアを揺らしながら、彼女が登場した。 


  観客に手を挙げ、笑顔でピアノの前にストッと座る。何の迷いも無く、鍵盤にバーンと両手を叩き付けた。

「You've got to get up every mo−−rning!」


 この第一声に、観客席に歓喜のざわめきが立ち昇った。衰えてない。いや、むしろ当時より強い声。


目が覚めたら笑顔でいなさい
愛を胸に世界を見なさい


 大きなお世話だぜと拗ねる間も無く、満面の笑顔のキャロル・キング本人に指示されたら叶わない。

声変わり直後の少年のような、タフさと脆さをを行き来する声。変わらない。随所にプロ根性を見せつつ、決してスレていない。


曲への想い、観客への愛、仲間への信頼、音楽への忠誠。頬を染めたり、胸を抱いたり。

それすら演出であっても、いいと思える。

「アリガト、オーサカ、サイコーです」

世界中のステージで繰り返す、美しい嘘。
観客にとっては一期一会の真実。


2曲目は、私が生で聴けたらどんなに幸せだろうと願っていた曲だ。 

コンサートの、タイトルソング。

「Well come to my living room」


そう、ここはキャロル・キングのリビング。


ステージ上にはソファー、観葉植物、テーブルに間接照明。
そして、グランドピアノ。

途中で呼び込まれたメンバーは、ギターとベースの一人ずつ。

ここは彼女の、リビングルーム。


ツアーのために作ったこの曲には、可愛らしい場所がある。 


I'm gonna play some songs for you
(これから皆さんのために、何曲か歌うわ)
There are so many I'd like to do,
(歌いたい曲は、たくさんあるの)
If I don't get to them all, I hope you'll forgive me
(全部歌えなかったとしても、どうか許してちょうだいね)

'Cause I'm sixty-two
(だって、私は62歳だから)


アメリカでやったこのツアーのライブアルバムを、大事に何度も聞いてきた。


彼女が冗談っぽく「sixty-two!」と歌うと、観客が沸く。


同じ瞬間が、私にも訪れるとは思わなかった。


'Cause I'm sixty-six!

日本人は恥ずかしがり。
さざ波程度に起こった賞賛に、私もそっと合わせる。
しかし、内心ではただ驚いていた。

66歳!


出てきた時から、頭の中をこんなセリフが回っていた。

「お婆さんでもなく、オバさんでもなく、キャロル・キングそのもの」

なんだこのキャッチコピー。


でも、そうとしか言いようの無い年齢不詳の存在感。
ジャケットの彼女が、少しシワと体重を増やしてそこにあるだけなのだ。


いや、ここはもう少しちゃんと考えよう。曲が進み、メドレーの最後に「Will you still love me tomorrow」を歌いだして、ようやくわかった。


「先輩」
だ。姐御ではない。母性も少し違う。
憧れの、女の先輩

美人だけど気さくで、いつも的確なアドバイスをくれる。


泣いていたら、励ましてくれる。でも、時々、誰もいない放課後の教室で寂しい横顔をしていたりする。

 声をかければ、明るい笑顔で返してくれるとわかっているからこそ。

そんな先輩を、そっと遠くから眺めている。特にそんな先輩がいた覚えは無く、少女漫画やハイスクール物の洋画イメージがごっちゃになっているだけ。


でも、「Will you still love me tomorrow」ににじむ「恋するオンナの悩み」は、冒頭の「アンタは心がキレイなんだから笑顔でいなさい」なんて励ましとは、対極だ。


Tonight the light of love is in your eyes
(今夜、あなたの瞳は愛に満ちている)
But will you love me tomorrow
(でも、明日も私を愛してくれるかしら)


最後の「So tell me now and I won't ask again(だから今教えて、二度と聴かないから)Will you still love me tomorrow(明日も私を愛してくれますか?)」を初めて聴いた時、たまらない感じがした。


こんなに自信に満ちて、サバサバしているように見えるキャロル先輩でさえ、男の愛が信じられずに戸惑う。

そんな繊細な恋愛感情を失って数年。枯れていた私に、66歳の彼女から指示が飛ぶ。

「一緒に歌って!」

オンナの後輩達が、過去のどれかの恋を思い出しながら、声を合わせる。男性もいたが、これは女歌だ。


そして、別の曲では「一緒に歌ってね。でも女性だけよ!」とハッキリ指示を出した。

「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」


恋愛における、女性にとってのゴール。
そのタイトルと歌詞に、素朴に感心した。

繕わなくていい、そばにいるだけで、自分が解放されるパートナー。


見た目だけじゃない、体だけじゃない、演じている私じゃない。その相手を見つけた高揚感が、後半のリフレインに現れる。


「You make me fe---el!
You make me fe---el!
 you make me feel like A natural woma---n!」


  LPを掲げた女性が、泣いていた。


「Home Again」「Smackwater Jack」「It's Too Late」「I Feel The Earth Move」など、「つづれおり」から何曲も。アンコールで「So Far Away」、そして私の涙は、ラスト2曲目に全部出てしまった。


大事な友だちの、声を、感触を思い出す。
想いが強すぎて、これ以上は書けない。


嘆く後輩を引き立てるように、キャロル先輩は「Rockするわよ!」とピアノを叩き、「ロコモーション」を歌い、煽る。総立ち、手拍子、いっぱいの歌声。懐メロ大会なんかじゃなかった。



したたかな現役魂と、「女を生き続けるってのはこういうことよ」と教えてくれた先輩。


茨木のり子の詩の一節が、ふいに浮かぶ。「年老いても咲きたての薔薇」。化粧が濃いわけでも、ドレスを着ているわけでもない。


休憩後なんて、ハードロック・カフェのTシャツで歌っていた。


それでも柔らかく匂いたつ、薔薇のような人。そう言えば、彼女は「Tapestry」を歌わなかった


でも、織りなす曲の多彩さと人柄の豊かな色合いに、ただ見とれた時間だった。


幸福感がしばし覚めず、家に帰ってからも「リヴィング・ルーム・ツアー」のアルバムを聴きっぱなし。


ある日、背中からドンドンと音がする。


振り返ると、「Smackwater Jack」に合わせて足を踏み鳴らす、1歳2ヶ月の娘がいた。ここにも、オンナの後輩が一人。


新米ですが、どうぞよろしく。


あと100年は確実に、世界のどこかで女性はキャロル・キングのお世話になる。
その前に、もう少し。

'Cause I'm seventy!


(だって、私は70歳だから)こんなのが聴けたら、たまらなく嬉しい。


先輩、いつまでも、お元気で。



《余談》

かなり前のレポですが、どうにも惜しくて最後まで書きました。
セットリストも覚えておらず、印象ばかりのレポですみません。
※いつも主観全開ですが

2007年の来日時は、出産前後で無理だったので枕を濡らしていました。まさか翌年に、しかも大好きなライブアルバムのツアーで来るとは予想外。情報を知った時には、「去年行けなくて良かった」とまで思いました。

ベスト・ヒッツ・ライヴ~リヴィング・ルーム・ツアー(紙ジャケット仕様)
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※62歳時のツアーで、セットリストもかなり近いです。


奇跡的に間に合って、一生の思い出になりました。
彼女の存在を教えてくれた、元基先生にも感謝しています。

あれから、1年。

※今日は個人的な感傷なので読み捨ててくださいm(__)m



1年前のエイプリルフールは、大事なネコが死んで泣き通しの1日だった。
早いなぁ、1年。


1年前の今ごろ、小野正利が着うたでカバーしている宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」を目覚ましにしていた。

毎朝まいあさ、宇多田ヒカル本人より可憐で切なげな声で

「それでも あなたを 引き止めたい」

と小野センセーが歌うのを聴いて、

彼がまだ生きているかどうか跳ね起きて確かめて、
あぁ生きてる良かったと安心してもう一度眠りに落ちていく。

もうダメだって頭の隅でわかっていても、
そのカギ尻尾を握りながら“引き止めたい”と切実に思っていた。



彼が死んだ日、時刻が来たら、いつものようにこの曲が流れた。

目の前には、ただの黒い毛の塊

頭が割れそうに悲しくて、それ以来、アラームから外してしまった。
※小野センセーに責任はありません。


あれから1年。

最近はシナトラの「Over the Rainbow」を目覚ましにしていて、寝起きの悪い私は「うるせーシナトラ」「殺す(死んでますが)」とケータイに悪態をつきながら、ずーずーしく生きている。


時々、彼の好物を手に台所に立っていると、
流しに手を掛けるいじきたない姿を思い出して泣いたり、
「You've got a friend」を聴いて泣いたり、
道端で黒猫を追い回して泣いたりしないわけではないけれど。


きっと「忘れる」という機能が無ければ、人は辛くてつらくて幼いウチに死んじゃうんじゃないかと思う。


でも今日は、思い出してもいい日だから、思い出してみました。
会いたいなぁ、トト



キャロル・キング

〔ハマリ歴〕 半年
 ※すでに偏愛ヴォーカリストに登録してると思ったら、まだだった。

〔出会い〕

 この半年で一番聴いた声のような気がする。

 元基先生のライブで「君の友達(You've Got A Friend)」という曲に出会い、元基先生が歌う数少ない女性曲(あとは「Move Over」とジャズなので)だったこともあってヴォーカル教室でやってもらうことに。そして悲しい思い出のために、自分が生きている限り忘れない「とくべつな曲」になった。

 
 持っているのは「つづれおり」とライブ版が2枚。それだけ。
 それを繰り返し、くりかえし。

 
 決して「超絶ハイトーン」や「圧倒的にウマい」ヴォーカリストではない。
 
 「にゃあにゃあした声」だなぁ、と思う。
 やんちゃな少年の、声変わり前のような。

 彼女の曲を歌ってみると、その真っ直ぐな声の「芯」に気がつく。
 自分で言葉を綴って、自分のメロディに乗せる人の声。


 「私の声を聴いてほしい」じゃなくて
 「私の言葉を、聴いてほしいの」

 ライブ盤で聴くと一層、目の前で語りかける彼女がいるような気がする。

 
 聴かないまま死ななくて良かった、と思うアーティストの1人。
 そしてこんな風に年を取りたい、と思う女性の1人。

番外編:バッドトリップ中。

 ここ数日、一晩中パソコンに向かってHPを作り、合間に某誌の塾や私立高校ランキングの仕事をし(なんか最近多い)、とにかく寝てるんだか起きてるんだかずっと缶詰になっている。

 こうやって働いてはたらいて死んでいくんだろうかと、不安になる。確かに塾の校長時代もワーカホリックだったが、それでもまだ授業をしたり彼らが成長したりバカな事件を起こしたりすることで、救われた。

 会社をやってると言っても自宅作業も多いので、息が詰まる。
 膝に乗ってた大事な黒猫ももういない。

 10時間もパソコン見てりゃ目も痛くなる。
 頭の中は色んな段取りではち切れそうで、
 一つの作業がうまくいかないとイライラが募っていく。
 
 今度のリニューアルに備えてパソコンを買い換えた。
 20インチの画面に、やたら音響がいい。

 画面の下のスピーカーから大好きな人たちの声が溢れてくる。
 きっと音楽が無かったら、私は気が変になって死んでしまう。
 そう思うほど、彼らの声に依存している。

 昨日は、キャロル・キングの「The Living Room Tour」を聴く。

 「ベスト・ヒッツ・ライヴ~リヴィング・ルーム・ツアー」


 最初の「私のリビング・ルームへようこそ、今日はたくさん歌うわ、でも私は62歳だから歌いたい歌がたくさんあるから、全部歌えなくても許してね…」という歌詞と声、観客が歌詞に合わせて“嬉しい拍手”を贈るのを聴いて、幸せな気分になる。

  
 そしてお決まりのように「You've got friend」で朝方に涙が止まらない。
 


 今日は本の発売日。

 ホントお前、同一人物か、と言われてもおかしくない
 違和感バリバリのラブリーな一冊。

 ページをめくると、あちこちの文章を書いた瞬間にいた「私の友だち」のことを思い出す。

 力が無くなって膝からずり落ちそうなのを抑えながら、
 言い回しに詰まった時は、バサバサになった彼の毛を撫でながら、
 どうしようもなく死とは無縁の本だけれど、彼と一緒に書いた気がする。

 「愛されメールのコツ」なんてページを読みながら
  ※ネタではくマジメに書いている
 「コレって私が書いたんだろうか」と不思議になる。

 自分でたまには自分を褒めよう。
 私ってプロだなぁ。

 ……そう思ってたのに、とんでもないミスが発覚。
 投げ込みの訂正が入ることになった。

 普通は校正は2回なのだけれど、一発だった。
 あの精神状態は、多少は影響があったらしいがプロとして言い訳にはならない。

 とっても凹んで、
 でも目先の仕事は山積みで。

 そして私はまたキャロル・キングをかけてしまう。
 ゆるやかに壊れていく中毒者ってこんな気分かしら、と思う。

 

I've got a friend.

この文章を書いてから、彼をベッドの横に寝かせて頭を撫でていたら、自力で布団の中に潜りこんできた。

 昨日、オムツを買ってやったので、数日ぶりに一緒に寝た。
 彼の背中を抱くようにして。
 妙に落ち着いていたので、まだまだ大丈夫だと思った。


 願いをこめて書いた「4月いっぱいまで」は
 1日の朝までしか持たなかった
 それも、たった3時間後に別れることになるとは、思わなかった。

 6時半ごろ、ここ2日ほど起こしていた軽い痙攣の発作に気づき、
 「おーい、がんばれー」と眠たい頭で撫でていたら
 そのまま動かなくなった。

跳ね起きて、揺すって、名前を呼び続ける。
 突っ張った腕は、もどらなかった。

 
 こいつ、私がうっすら感じていた
 「出張の間に死ぬかもしれない」という
 罪悪感と不安を感じ取って
 さっさと死んでしまいやがった。


 賢い猫だったけれど、こんな物分かりなんていらない。
 バカ、ちゃんと帰ってくるのに。
 昨日まで、歩いてたくせに。
 先生もまだ大丈夫だって言ってたのに。



 それから2時間以上、泣き疲れて、
  眠れず、仕事もできず、ただ言葉がダラダラと出てくる。
 呆然と彼の思い出を垂れ流すことしかできない。


 パソコンを始めた時、つけたハンドルネームは君の名前だった。
 「ニューシネマ・パラダイス」の黒い髪と瞳の男の子の名。

 冷えていくトトの毛に顔をうずめたら、
 やっぱりいつものようにホコリくさかった。
 
 天国へ行ったら、猫が好きで歌がめちゃくちゃうまい、ヒゲマッチョのおじさんがいるから、私の代わりにライブに行ってきて。

 こうして私は、死ぬのがまた1つ怖くなくなる。
 今度会ったら、仕事なんかしないでずっと構ってあげる。
 

 しろこトト







 フレディ、黒い方、よろしく。

キャロル・キング

 「君の友達(You've got a friend)」キャロル・キング


 音楽はひどくパーソナルな一面があって、作り手や歌い手の意図に反して勝手にリスナーが想いを深めていることが多い。そう考えると音楽を小難しく論じたり、ランクづけするなんて邪道なのかもしれない。人生の大事な瞬間にかかっていたという理由だけで、たわいもない歌が甘美な思い出にも傷にもなる。

 私が人見元基の歌う「貴方を愛し続けて(Since I’ve Been Loving You)」に執着する理由なんて、きっと私以外の誰にもわからない。ああいうこととこういうことが重なって悶々と悩んでいるその瞬間に耳に流れ込んできたのよ、とあまりにもプライベートで説明しようがない。

 ただ、最近増えた「特別な歌」については、書き留めておきたい。

 私は、2匹の猫を飼っている。
 一匹は黒猫。一匹は白猫。

 そのうち、黒い方は12年一緒だ。学生時代、男にフラれた寂しさに耐えかねてもらってきた小さなオス猫。気がつくと6キロを超えていた。2年前、ケンカの傷で獣医に行った帰り。暴れる彼と体重の重さにキレて、タクシーに乗ってしまったことを思い出す。徒歩20分の距離。今は毎日のように、同じキャリーバッグを片手に歩く。

 3日前は3.2キロ。
 おとといは2.8キロ。
 昨日は点滴で持ち直して3.0キロ。
 今日は2.9キロ。

 半分の重さになった、軽いバッグ。私の猫は、腎不全の末期症状を見せている。食べなくなった。数日前から私のひざに飛び上がれなくなった。声が出なくなった。

 原稿の締め切りや校正に追われながら、点滴を受けに連れて行く。3月も終わりなのに、腹立つほど寒い。20分の帰り道をガシガシと歩きながらMP3のスイッチを入れる。流れ込んできた、キャロル・キングの「You’ve got a friend(君の友達)」。そうそう、歌の練習用だから覚えなくちゃと歌詞を追いながら聴いていて、道の途中で歩けなくなった。


 Winter,spring,summer or fall
 (冬、春、夏、そして秋も)
 All you have to do is call
 (いつでも、名前を呼ぶだけでいい)
 And I’ll be there
 (すぐにそばへ行ってあげる)
 You’ve got a friend
 (君の友だちだから)


 普通の人なら、ここで親友や学生時代の友達の顔を思い出すんだろう。でも私はこのフレーズで、右手に提げたキャリーバッグがしびれるほど重くなった。


 12年。
 男が出て行った夜も、新しい恋人が来た日も。
 部屋を変えた日も、私の名字が変わった日も。
 絶対に私を裏切らなかった、一番長いオトコ。
 ……そして、一番そばにいた友だち。


 「Winter,spring,summer or fall(冬も、春も、夏も、秋も)」

 この並びがダメだ。
 とてつもなくダメだ。

 せっかく強烈に寒かった冬が終わりそうなのに。
 もう、春はそこまで来ているのに。

 部屋に戻って、彼のホコリくさい慣れた毛に顔をうずめる。
 遠く、喉を鳴らす音が聞こえる。
 私の友だち。

 別の部屋で仕事をしていたら、急に立ち上がりヨタった腰で這いずって来た。
 水を飲むのかと思って器を差し出したら無視して、
 私の足元までたどり着いて、へたり込んだ。
 そして顔をキッと見上げて出ない声で鳴いた。

 「水とちゃう、アンタや」


 Ain’t it good to know that you’ve got a friend
 (友だちがいるって、いいものだよね)

 うん、いいものだよね。
 だからもう少し、一緒にいてくれないか。





《余談》

 極私的感傷の押し付けですみません。読み飛ばしてください。

 4月2〜5日の出張がやや不安ながら、獣医に預けることに(ノー天気に見えるライブやレッスンの予定も今や4月以降の仕事と絡んでいて、避けられず)。集中的に治療して、もしかしたら良くなるかもなんて淡い期待も抱いています。

 何とか4月の間は持ちそうな気配もあるので、がんばってもらいたいです。

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